横浜市泉区のあゆみとは?鎌倉時代から続く歴史ある街
横浜市泉区は、歴史的にもさまざまな出来事があった地です。
今回の記事では、鎌倉時代から江戸時代にかけて、明治時代から戦前にかけての泉区の歴史やあゆみを見ていきましょう。
横浜市泉区の歴史とは?鎌倉時代から江戸時代のあゆみ
鎌倉時代は鎌倉に幕府が置かれていたため、多くの文献が残っています。
室町時代になると、小田原に北条氏が築城し勢力を広めました。
五代にわたり続いたこの時代を小田原北条時代といいます。
天正十八年になると豊臣秀吉の攻撃により、小田原城が落城しました。
その後徳川家康が江戸城に入るという歴史があります。
そこで家康を支えていたのが有能な農政家で、新しい政策に助言したり、計画をすることで地域を発展させてきました。
一城を構えられなかった士豪や武士は家康のもと再編成され、支配をゆだねられます。
こういった役割を持つ方を代官頭と呼び、そのなかに彦坂氏がいました。
彦坂氏の力により、反対の声もあった戸塚宿が設けられます。
江戸初期になると、黒田五左衛門光綱をはじめとする領主があらわれます。
横浜市泉区に住んでいた人の多くは、農民で農業に従事していました。
米・麦・粟などを栽培して年貢を納入するだけではなく、宿場の掃除もしています。
農民のなかには文化的素養を持つ人も現れ、江戸や小田原で句会が開かれるようになり、泉区には数多くの句集も残されています。
横浜市泉区の歴史とは?明治時代から戦前までのあゆみ
明治時代に入ると、現在のJR東海道線である東海道鉄道が発達します。
二十年には戸塚駅が設けられ、その後三十五年には戸塚・長後間の県道かいさく工事が始められました。
県道の入り口には矢沢隧道があったものの、関東大震災により崩壊します。
その後、入り口の改修をおこなうと同時に、県道を整備しましたが、それから乗合い自動車の運行がはじまり、新たな自動車会社の設立がおこなわれました。
このように歴史やあゆみをたどることで、経済の発展もわかります。
おすすめ物件情報|泉区の物件一覧
まとめ
横浜市泉区には鎌倉時代から明治時代、戦前までの歴史やあゆみがしっかりと残されていて、どのように区が成り立ってきたのかがわかります。
時代とともに勢力を広げる人物も違い、今の生活へと変化していったということです。
ぜひ上記の内容を参考に、横浜市泉区について詳しく調べてみてはいかがでしょうか。
ケイオー不動産株式会社は、横浜市泉区・戸塚区のマンション・一戸建て物件を多数取り扱っております。
ご質問やご相談がございましたら、お気軽にお問い合わせください。
住まいをお探しの方はこちらをクリック↓